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こんにちは。
前回・前々回書いたような流れで、『ふんどし育児』は世に出ました。
今日は、その本の中の最後「おわりに」の中で書いた文章をご紹介しますね♪
標題の「ジャッジしない子育て」につながるのが、まさにそこだから^^
(以下、『ふんどし育児』おわりに より抜粋)
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「おわりに、のおわりに」
日本の社会が変わる、なんて大きなことを言いましたが、わたしは単なる一実践者で、ひとりめの子育てに試行錯誤中の新米お母さん。
日々失敗したり反省したり、ずっと途上です。
妊娠中もいろんな本を読んだり、話を聞いたりして「あれもしよう、これもしよう」と 思っていたし、実際に行ってきました。
「これだけばっちり実行したら、どんなに素敵な結果が待っているんだろうなあ。する っと生まれて、生まれた子はおだやかで・・・」と妄想。
一日二時間歩いているし、ヨガも しているし、食事はマクロビオティックだし、間違いなくするっと生まれるはず・・・。
が!蓋を開けてみると、助産院での出産途中に子どもの心拍が下がり、病院に搬送され 緊急帝王切開手術での出産。
生まれてからも、思ったのと反対の結果がまたも待っていました。
母乳をあげて、いっぱいだっこして、おむつなし育児をして・・・こうすると子 どもはおだやかになるって本に書いてあるのになんでずっと泣いてるの!あれ?!両親 ともアレルギー家系じゃないし、食生活の「正しさ」には自信があったのに何で子どもに アレルギーが四つも五つもあるの?えっ、そして、この湿疹はアトピー?!
なぜなぜなぜ・・・の連続だったけれど、子どもが二歳に近づく頃、なんとなく「これか な?」と思うことに行き当たりました。
それらの原因のひとつは、わたしの「こだわり」 「執着」なのではないかということです。
「これがいいことだ。正しいことだ」という強い 思いこそが、思っていたのと逆の結果を生んでいるのではと。
だって、「いい」「正しい」と思っていたことが、子どもにとって「よくない」の原因に なっていたということがいろいろあったのです。
まず、三か月のときにあまりの乳児湿疹 のひどさに受診した鍼の先生から言われたこと。「玄米がちょっと強すぎるのかもしれま せん。おっぱいをあげているお母さんが玄米を食べるのをいったんやめましょう」という 言葉。
玄米は何よりも素晴らしい、命の源になる食べ物だと思っていただけに、ショック で目の前にガシャーンと鉄の扉が落ちてきた思いになりました。
次が子どものアレルギー。
小麦はともかくとして、大豆とごまも!からだにすごくい い食品だと思って妊娠中も授乳中も、いっぱい食べてた・・・。
そうしているうちに思ったこと。
それは、「これは絶対にいいものだ」というこだわり は、結局、ものごとを善悪に二分している、裁いているという行為だということ。
だから、 「いいもの」を食べるということは、「(これと違って)あれはよくないものだ」をいう思い も体に入れているのと同じことなのではないかということです。
だから、自分が物を裁いた刃で自分自身も切られるのではないかと思います。
おっぱい や離乳食を通して、そのお母さんの「こだわり・執着」をからだに入れた子どもにも影響 が出てしまうのかもしれません。
うちの子は、それをわたしたちに教えに来てくれたのかな。
その学びから、今は「絶対これでないといけない」というこだわりはなるべく外して、 食事にしても、知識ではなく、今そのときの自分の感覚を大切に、子どもが食べられるも のであれば何でもいただくようにしています。
とはいえ、じゃあ何のこだわりもなく「なんでもいいや〜」という姿勢で生きればいい かというとそうではないと思うので、そこが難しいところ。それが今の課題です。
(もう少し続きますが、抜粋ここまで)
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最後に「そこが難しいところ。それが今の課題です」と書いていますが、10年経った「今」のわたしは、当時のわたしに話したいことが山のようにある。
それを、次回から何回かに渡ってこのブログで書いていこうと思います。
よろしければまたおつきあいくださいね^^
つづく
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